エゲレスとは、こーゆーところてす。
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仕事の合間に観る古い映画がやや習慣づいている今日このごろ、 昼食を摂りながらですので、観られるのはせいぜい1時間くらいなんですが、 昼間っからこんなに意義深い映画を毎日テレビで上映しているのが、 嬉しくもあり、惜しくもあります。 ただ、連合国軍側だけから見た戦争観で描かれているものが多いので、 右傾を自負するような日本人が見たら、 テレビ局を襲撃しかねない内容の映画も上映されます。 昨日観たのは、" Three came home " という1950年の映画で、 これまた絶対に日本では上映されないだろうな、という映画でした。 場所は北ボルネオ(現在のサバ州)に大日本帝國軍が占領した時に捕虜となった連合王国、 つまり英連邦捕虜たちの経験が主です。 国際法を無視した旧日本軍の捕虜の扱い方が問題視されて久しいですが、 日本人がそのような態度を取るに至らせた時代背景の説明というものはまったく無く、 日本軍が如何に理不尽か、 と一方的に訴えるような勧善懲悪ものであれば、すぐに観方も替えたと思います。 まあ、そういうことはすべて事実に近いのだろうけど、 見方が一方的であることは良くないと思うわけであります。 しかし、この映画では意外な人物が登場しました。 捕虜収容所長の菅大佐であります。 演ずる俳優はタイトルの早川雪州(Sessue Hayakawa) やたら英語の上手い日本人だなあ、2世かなあ、と眺めていたんですが、 日本語も上手いし、あれれ、もしかして、日本人で初めてアカデミー賞のなんたらかにノミネートされたヒトかなあ、と気付いて、調べてみたら、以下の通りでした。以下から英語の方にアクセスするほうが内容としてはお薦めです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E5%B7%9D%E9%9B%AA%E6%B4%B2 演ずる俳優自身も興味深い人物ですが、 菅大佐の役柄もとても人間味のあるものでした。 主人公の女性作家Mrs.Kiethは実在の人物で、このサンダカンでの捕虜経験者です。 捕虜になった家族は「男」と「女、子ども」に分かれて収容されました。 彼女の作品のファンであった菅大佐は出来る限り彼女を丁重に扱いました。 前後関係を観ていないので、菅大佐がなぜ英文学を読めるのか、などの理由は判りませんでしたが、 捕虜収容所にあっては、彼女の発言力に怖れを抱いていた将校たちが、 菅大佐に隠れて、彼女を抹殺しようという試みをしていたのを、 彼女の機転と大佐の存在とが絡み合って、 彼女自身をその窮地から助けることになったことは微妙な現代邦画を見る思いでした。 場面が1945年8月になって、連合軍の航空隊が捕虜収容所の上を飛びます。 捕虜達は皆歓喜の声を上げます。 日本兵はうろたえ、制止しようとします。 しかし、菅大佐は悲しげな表情で、Mrs.Keithをお茶に呼び出します。(捕虜ですから、「誘う」のとは異なりますね) 「実は、疎開先の広島で家族全員が壊滅したのです。もう私には顔を見るべき家族がいないのです。我々は貴女からご主人を引き離した。貴女なら私の気持ちを察してくれると思って、お話ししたかったのです」 「それは残念なお話です。以前からご家族のことは伺っていましたから、お悔やみ申しあげます」 その数週間後に同捕虜収容所は連合軍の手によって解放されました。 Mrs.Keithのご主人も無事でした。映画のタイトルはその親子が「3人揃って英連邦カナダに帰還できる」という意味だったのです。 拙父も生きていたら、85歳以上になります。 英国のこの年齢のご老体には、日本人に対してタフな態度を取る方々が居られます。 旧ブログでも、一度ご披露した話ではありますが、 電車の中で突然話しかけられたことがあります。 その時、勤める会社の便箋に書き物をしている最中でしたので、 「日本」を示すロゴでも見届けたんでしょう。 「お前はいつ日本に帰るんだ?」 いきなり尋ねて来たんです。でも、目は笑っていません。 「日本は遠いだろ。いつ帰るんだ」 「いえ、帰りませんよ。妻は英国人ですし、生活の基盤はここですから」 ご老人夫婦は目を見合わせて、わざとらしく驚いていました。 そして、お二人が囁く言葉の中にはPrisonやジャップの言葉が聞こえました。 周囲のヒトたちは、ちょっと気に掛けたようですが、 皆、我々と視線が合うのを避けていました。 これは1980年代後半の話ですが、現在齢65歳以上の方々なら捕虜経験者がいてもおかしくないわけであります。子どもでも、収容されてひもじい思いをしていたことは忘れないでしょうから。 拙も叔父達が南方で戦死した話は忘れられませんし、拙自身が赤貧の子ども時代を過ごしたことも昨日のことのように思い出されますからね。
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No more
広島出身の私は、幼少時から平和教育と題した授業やイベント(主に原爆の恐ろしさなど)に接する機会が多かったせいか、日本側から見た戦争を「戦争」と解釈していた様に思います。牧歌さんの見られたような、映画や、電車内で経験された事を通じて、世界の様々な角度から見てみると、各国の当時の政治色や国民性や戦後の建て直しの違いで現れた?現代の各国の問題などなど、色々考えさせられます。
Re:No more
一つの事実でも、被害者と加害者とがあるだけでなく、傍観者、近親者、処理者などその事実に巧妙に絡み合う人間の業さえ感じることもあります。ドイツでは、自国の歴史と並行して、他国の歴史認識との違いを比較する研究がされています。日本でも、10年ほど前からそのような試みを始めたと聞いていますが、日本とアジア諸国との間の認識差はかなり明らかですもんね。だからこそ、何をすべきか、と考えるんですが。
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なお生き残る在英中年。
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