サッカーの場を借りますが、サッカーの話ではありませぬ。
「あれはオフサイドだろうが~」
ことあるごとにラインズマンや審判の判断に文句をつける人がいます。
でも、決してフェアな判断をしているとは思えません。
自チームに不利な判定の時だけ文句を言っています。
正直に言って聞き苦しいです。
拙はよほどひどくない限り、文句を言いません。
文句を言うなら効果的に状況を一言で説明する言葉を発します。
"No, it was after no.7's kick"
などと叫んで、審判や観衆(20名ほど)が「はっ」とするような表現を選びます。
でも、英語だから時々言いそびれるんだよな。
あるとき、とても聞くに堪えないほどネガティブなことばかり叫んでいた敵チームの父親が、
拙息子の真っ当なゴールに文句をつけたので、
「あれは全然オフサイドじゃなかった。アンタと同じ位置に立って見ていた私から見ても、完全にパスの後だった。だから、さっき日本語で『よしっ』と言ったのを、あんたも聞いて反応していたじゃないか。そもそも、あんた、ちょっと文句を言いすぎなんじゃないのか」
と言うと、
「あれがオフサイドと言わないのなら、サッカーとして成り立たない。あの位置から、なんであんなに速く前に出られると言うんだ」
「あんた、それは見ていなかったことを証明するような発言だね。しかも、悪いが、あの子の父親は110mハードルを14秒で走ったことがあるんだよ。もちろん、彼がチームで一番速い」
「しかし、私はルールのことを言っているんだよ」
と言いながら、拙の左腕に掴みかかってきました。
「申し訳ないが、あんたは私をアタックしているよ。止めてくれないか」
ただならぬ様子を感じた審判は試合を中止しようとしましたが、
そのとき、文句オヤジは満面に笑みを表して、
「いや、面目ない。審判の言うことが一番正しい筈だよな。どうぞ、試合を続けてください。アナタも興奮しないように」
「はぁ?、それは俺の言葉だろう」
この時、拙はこの男に落とされたのです。見下された、と言ってもいいでしょう。
彼の挑発には乗らなかったわけですが、彼のこの変わり身の速さと卑怯さには頭に来ました。
でも、それ以上は何も言いませんでした。
自分を優位にするために、感情的になっている相手を利用し、世論を自分に向けるやり方というのは、日本語のシチュエーションでもありますが、このパターンは英国人のよくやる相手を落として、優位に立つシニカルな方法です。英国では先に感情を示した方が劣るという印象を与えがちです。文句オヤジは、自分の間違いを棚にあげることと、自分を優位にする操作を一瞬のうちに行ったわけです。
これで、まとまりがつかなければ、さらに皮肉を用いるわけで、それを被ると非常にドタマに来ます。言う方はそれが、紳士だとか、知性だとか思っているようですが、さらにそれを見下す言い方として、
Sarcasm is the lowest form. 「皮肉は最低の様式」
という決まり文句もあるくらいです。もちろん、英語のこういう場面では紋切り型の言葉では相手を凹ませないわけで、その場面に応じて気の利いた言葉が使えないと優位に立てません。言葉が出てこないときは、沈黙するか、チャンスを待つのです。
この試合の後、文句オヤジはポーズとして、審判に握手を求めていましたが、拙の前を横切ったにも関わらず、無視しました。それは明らかに、「俺はお前よりも上であって、お前など相手にしていない」という態度なわけです。
でもね、これって文句オヤジの思い込みでそうなっているんですよね。自分の価値観で「俺は勝った」という思い込みが前提となっていて成り立つことでしょ。じゃあ、拙も自分の価値観でこのことを整理すりゃいいんじゃん。ああ、これが個人主義かぁ、と思うわけです。
かつて、没落貴族が新興貴族を見下すために、「君たちは金があるだけじゃないか」と言って、ちょっと貧しくてもこれが究極のダンディズムと自慢していたオメデタイ時代がありました。この種の思考形態って、貴族も中産階級も関係なく、英国人の思考形態なんでせうね。
こういう経験をして気付かない在英邦人も多いようですが、気付くと腹が立ってくるので、やはり気付かないほうが良いのかも知れません。
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