エゲレスとは、こーゆーところてす。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 このブログには1度の記事の容量制限があるんですね。せっかく貼り付けた順位表がアップできなかったばかりか、その表を削除しようとして、えらい時間を食いました。まだまだ使いこなせませんな。 今後、息子チームの強敵は、イースター休暇明けにダブルヘッダーのある現在3位のHill Bですが、このチームをやっつけられたら、息子チームは3位以内に入る可能性が出て来ます。でも、たぶん無理。 PR 毎週金曜日の放課後、息子には学校のスポーツの練習があります。 日本の部活動とは異なりますが、学年単位で学校代表チームが構成され、毎週土曜日にはリーグ戦が行われるのです。 年初から春休み(イースター)に掛けての3ヶ月間はホッケーが行われます。 30年ほど前までは天然芝の上で行われた競技ですが、昨今ではアストロ・ターフと呼ばれる人工芝の上で行われます。 ゴールキーパーを含む11人制で、ポジションはサッカーと同じですが、左面のみで打つホッケースティックを使います。球は鋳物で、かなり硬いのですが、滅多に割れないようです。 この記事は息子の練習風景を眺めながら書いているのですが、英国のスポーツ事情として、いくつか気付いたことがあります。
今日は息子の練習を見に行く前に近くの街で用を足していると、息子の同級生達とすれ違って挨拶してくれました。 息子たちは既に練習中にも拘らず、こうして帰宅途中の子ども達もいるのです。 通常、パブリックスクールでは選手は選抜され、Aチーム、Bチームと強い順に振り分けられます。男子校の場合はそのチーム数が10以上に及ぶこともありますが、息子の共学校では選手数が少ないので、2,3チームが限度です。 さきほど街で出くわした息子の同級生は選抜されなかったばかりか、本人もスポーツに興味のない少年です。以前、彼のお父さんと話したときは、「他のスポーツはダメでも夏のクリケットであれば、やる気のでるチャンスと思ったんだが…」とのことで、いつしか彼はどのスポーツの練習にも参加しなくなりました。選抜されることはなかったのですから、やる気の出ないのは当然かもしれません。彼がスポーツをするのは、いやいやながらプレーする課内授業だけになります。 でも、最初はやる気があった筈なのになんだか残念です。やる気がなければ、続かないわけで、うまくなることはおろか楽しみ方も知らないで、彼は一生競技から去ることになりそうです。 生徒の能力が未知数の間はAチームとBチームとを行ったり来たり、ということもありますが、そのうちメンバーは固定されます。 そうすると、Aチームの選手とBチームの選手とでは考え方に違いが出て来ます。Aチームでプレーすることは学校代表としてのステータスが確立するので、ちょっといい気になった子ども達がたくさん居ます。Bチームの方は様々な価値観でプレーするようになります。勝つことではなく、プレー自体が楽しいから。いつかAに補欠として参加できる。 でも、決して聞かないのが、「もっとうまくなって、Aでプレーする」という姿勢。Bチームに甘んじて、それ以上は望まない子どもたちばかりなのです。裕福な彼らには逃げ道となる選択肢がたくさんあるということも背景にあります。楽をして、うまく成功することを自慢する英国人が多いのは、こういう理論構造ゆえかもしれません。努力は馬鹿がするもので、賢人は楽して成功する方法を見つける。 一方、我々の時代、我々の国を振り返ってみると、なんだか納得し難い考え方です。例えば、甲子園出場校のように日本全国から優秀な選手が集まってきても、試合に出られるのは、200人中20名です。それでも、その他の180名は必死で上手くなろうと最後の甲子園まで望みを捨てないわけです。それって、日本では普通ですよね。報われないかもしれないけど、全力を尽くさずに終わったら後悔する、という考え方でしょうか。こういう精神的な背景があるから高校野球は面白いんですが…。努力を尊ぶ人間から見れば、楽してうまくやっちゃった人間の行為には尊さを感じないわけです。殆どの人間が日本では努力をするわけですから。そうでもない?いえ、拙自身は「努力」という言葉自体が嫌いです。 今日もこうして練習を見ていても、確かに皆まじめに取り組んでいるんだけど、積極的に上手くなろうと工夫や努力している子どもは見受けられないのです。満ち足りた生活をしてきた子どもたちだから貪欲さに欠けるのでしょうか?それとも、「僕には他に全力を尽くすべきものがある」とでも思っているのかもしれません。数打ちゃ当たるんでしょうか。 そう言えば、最近の息子のサッカーでも「諦め現象」が見え始めています。皆、プロを目指す子供たちですが、新リーグに昇格してからの見事な負けっぷりで、自分のサッカーに疑問を持ち始めているのです。彼らは息子とチームメイトですが、通う学校は異なります。息子の学校には可能性を導くたくさんのレールが敷かれていますが、普通の学校に通う彼らからサッカーを取り上げたら、たぶん何も残りません。そこから新しい人生設計をしなくてはならないでしょう。 誰もが経験するこの見極めの時期。いずれ、息子にも来ることでしょう。そして、彼もどこかのレールを選ぶことになるのです。それがサッカー選手へのレールになる可能性もまだ残っているわけですが、ラグビー、ホッケー、クリケットというパブリック・スクールのスポーツもけっこう行けている、と思うのは親バカでしょうか。ええ、バカです。ヒトに言われたくないけど。 息子の同学年で、面白い奴がいる。 学年で一番背が低く、 学力もあまり高くなく、 先日の雪の日には、「雪だまを手にしていた」だけでDetention(居残り)を食らった。 以前、旧 関東ならこの坊やは皆にバカにされる。 しかし、関西ならこの坊やは人気者になる。 では、息子の学校ではどうか?
彼はとても人気者だ。
息子も拙もジェームスが好きだ。 なぜなら、彼はいつも元気だし、ギリシア人のような端正な顔立ちで、瞳が輝いているし、白人のお母さんは美しいし…
そのお母さんのことも以前述べたことがある。金髪をなびかせるスリムなお嬢さんのような彼女とは学校のイベントでよく出くわしては話を交わすのだ。他のお父さんたちと取り合いになることもある。皆、鼻の下が伸びている。あ、拙も?
彼女はマラソン選手でもあるので、40歳を超えているのに、後姿は10代にも見える。英国2位のマラソン選手マーラ・ヤマウチとは拙の話題で声を掛け合ったこともあるそうな。でも、この辺は?
そんな具合で、ジェームス本人はもちろん、彼の周囲は興味深い。彼のお父さんは別居していて、別の家族を持っている。近所で、その家族にもよく出くわす。ジェームスのお父さんマイクはインド人とブルネイ人との混血。どう見ても、国籍不明のハンサム顔だが、マイクの母上はどう見ても中国人。
で、金持ち! 中国人、インド人、ユダヤ人など民族や宗教の共同体で協力し合う彼らの組織力は相当なもので、「企業連合」という本来の意味以上に機能するシンジケートや地下組織も持つ。しかし、ジェームズの父親の時代と立場では白人社会はおろか、どこにも属せないわけだ。こんなところに日本人が海外で成功しにくい端緒を垣間見てしまう拙の洞察力はさておき、要は経済力や能力とのつながりである。 この国に来てから、母上ともども相当辛い目にあったんだろうなあ、と思われる。裸一貫、信頼できるのは金だけだ、という考え方になるのも必至だろう。外国人の拙も同じ目に合っていると思うが、彼らほど金儲けに熱心になれない。それはたぶん彼らほど追い詰められたものではなかったのかもしれない。いや、わかんないよ。でも、たぶん間違ってないだろうな。 ジェームズも父親マイクのように、 ちょっとモテモテで、 配慮の細かいビッグビジネスを展開する人物になりそうな気がする。マイクの経営する企業は複数あって、中でも食品部門は英国でも有数のレストランチェーンだそうだ。
マイクは言う。
「息子には私が得られた以上のチャンスを増やすために、この学校に入れた。だから、寄付金も厭わなかった」
でもね、これって不正入学ではないんです。パブリックスクールは個人経営なので、合格基準はどこにあっても良いのです。学校も企業ですから、経営が優先されるわけです。お金のある父兄からガッポリ頂いて、拙宅のような貧乏人の子ども達に奨学金を支給して、学校の評判を上げれば、学校にも都合が良いわけです。もちろん、道義的なこともあるので、どんなに寄付金を積まれても入学を断るケースもあるようですけどね。もちろん、ジェームズには誰にもない魅力とポテンシャルを感じます。学校はそういうことを理由に受け容れても良い筈です。最近の春の甲子園みたいに。 ヒトの本当の実力って、学校にあるモノサシだけじゃ判んないのは、英国も日本も同じだすな。だって、世間知らぬまま先生になりゃ、アカデミックなモノサシしか持っていないヒトも少なくないもんね。 そんなわけで、息子にはジェームスと仲良くしておくようにと言い含めています。マイクとジェームズも息子のような参謀を持ちたいだろうし。でも、参謀でいいのか? 「ジコリ」の続きと思われた方々には申し訳ありません。
オンタイムの情報ですので、まだコトが進んでおりませぬ。
でもって、本日はサッカーの話でし。
多くの球技がそうであるように、 サッカーも「ふり幅」の広いチームが強い。 と言う拙は30年前はバスケの選手だった。 ポジションはセンター・プレイヤー(またの名を180度)と言うが、 実際には真ん中(センター)には居ない。 チーム内で背の高い選手がエンドライン沿いの、 ゴールに一番近く位置する2名の選手の一人である。 ところが、30年前といえども、 180cmそこそこでは日本の高校バスケでも決して背高ではない。 185cmの選手よりも高く見られたのは当時のジャンプ力の高さだった。 しかし、ジャンプ力がいくらあっても、30分ハーフの試合は、実際には120分間の全力疾走に近いものがあるために、日頃から飲酒を好んでいた高校生の体力は後半まで持たない。二日酔いで試合に参加して、チームメイトの吉沢君に叱られたことがある。 「臭いよ。お前」 試合が日曜日にあるものだから、土曜日の夕方に近所の酒屋でバイトして、祝杯を上げてから帰宅すると軽く御前様だった。当時の高校生活は大らかだった…のかな。母と兄に叱られたことは…、ありましたが…。 試合にその酒が影響してはいかん、という責任感(?)のあまり前半で体力を使い切る。 後年、「あぶさん」という漫画を読んで、痛く同感した。でも、主人公は本塁打を打っていた。あいにくバスケには、そういう大量点を一度に取るシステムはない。 動きは当然鈍くなるので、なんとか頭を使う。 そう、バスケット部には頭脳明晰な連中が多い。野球部は運動神経の良い奴が多い。ラグビー部は荒くれ者が多い。そして、なぜかサッカー部には悪いことをする楽しい奴らが多い。高校時代、あまり良い思いではないが、友人たちとの付き合いはやたらに楽しかった。 跳躍力は体力に影響される。つまり、後半は体力を使う縦の動きを極力抑える。前半こそ、トップの吉沢君から送られるシュートと見紛うようなパスをゴール・リングより上から押し込んでシュートするなんざ朝飯前だった。でも、その攻撃もパターンが読まれれば、10点が限度。チャージングを取られる時代だった。 読まれて阻まれることを考えては、いくつかのシュートパターンを持っているのは、我々センタープレイヤーの役目でもある。奇想天外な技がいつしか流行していくのも愉快だった。 そして、後半は縦の動きと思わせて、横の動きをする。「縦」ではなく、「盾」になって45度のポジションがシュートしやすくする。 コートのサイドラインをいっぱいに使って、機転を使ったパス回し。もうホトンド騙しあいのような意外なパスを繰り出しては、左右にディフェンスを振って、隙を狙った攻撃をする。上半身は下半身ほど疲れていない、ということも長年のバスケで知ったこと。インタセプト不可能のパスと負けないヘルドボールは持ち味だった。45度のポジションの選手達がシュートしては、我々180度はリバウンドを取りに行く。これもけっこう疲れるけどね。 こういうバックグラウンドはサッカーを観ていても、コート競技として様々な共通項を感じる。 サッカーで言う「スルーパス」は拙のバスケ時代には「田舎速攻」と呼んでいた。後年、日本代表だった中田がやっているのを見て、チームメイトが中田の意図を測れなかったことが悲しかった。 この程度のスルーパスは息子達のレベルでもやっている。MFの大きく蹴ったパスをストライカーが合わせてゴール。 で、大半の強いチームがこの攻撃に終始する。 現在息子のリーグでトップのチームはこればかりで最高得点を更新している。 9月以来の15試合を振り返ってみると、左右のMFはあまり有効に機能していない。多少は振るが、決して振り切れていない。 触れてもピッチの右半分程度である。 左はどのチームもがら空きなのだ。 理由はカンタン。皆脚が右利きだから。 息子だって右利きだけど、左でクロス(センタリング)を上げられるまでに成長して久しい。 でも、ピッチの左側にほとんどボールは飛んでこない。 監督ポールに次の試合は、息子を真ん中か、右のポジションにして、左を捨ててはどうか、と進言しようと考えていた。 ところが、そんなことを告げる前に行われた先日の試合、息子は左のストライカーに当てられた。 それはそれで、……いいかもしれない。でも、MFがそこまでボールを運べるかどうかが問題でもある。 試合は最下位から2位のチームで、結果は1対1だった。 息子のアテンプトは3つ、アシストは6つ。でも、ノーゴール。 ボール占有率は80%以上が息子チームで、チームのアテンプトも軽く10は超えていた。敵はわずか2アテンプトで1ゴール。 この試合ではMFがボールを運べたから息子は機能していたが、これだけシュートの確率が低いとなあ…。 で、この試合で確信したことは、ポジションを揃えても機能していないのなら、絵に描いた餅と変わらない、ということ。 MFがボールを運べないのなら、左MFにボールが来ないのなら、ボールが通うシステムを作らなければ意味がない。 「強い」と言われるチームはカタチにこだわっていない。左のMFが機能していないチームが大勢である。このリーグでは、強さと速さだけでチーム作りをしていれば、強くなれるというのが明らかになった今、息子のチームもこれから変わることが出来るだろうか。 ただ、素人の拙が思ったことを今頃やってるようでは、監督ポールの指導力の限界が見える。 強いチームにも通用する戦略を立てないと、勝てないよな。
ええ、事故りました。 それにしても、なんて往生際の悪いタイトルの付け方でしょうか。 かわいこぶったって、香港893の面相が良くなるわきゃありません。 まあ、そんだけ気分が落込んでいる、ということなんですっ!すッ!! 確かに、葛藤や不幸はいいブログネタになります。 それが、英国製であれば、日本の皆様には新鮮でしょう。 「たら、れば」で語ることや「占い」など他律的なことに意義を見出せない拙でありますが、 この時ばかりは、「ああ、あの時ああしていれば・・・」と何度かクヨクヨ考えるわけであります。 息子のサッカー試合の前に起きたことなので、 観戦する親御さんたちに話すと、 皆に笑われました。 「物損も人損もなくて、車だけでしょ。お金だけなら笑って済ませるわよ。保険もあるしね。人間は間違いをする生き物だもの」 んなこたぁ、判っているんだけど、人に言われて、 なんとなく救われた気分になりました。 貰い事故はいくつか経験しているものの、 自分からぶつかってしまった事故は運転歴30年(バイク含む)で始めてでごんす。 でも、どうしても不注意とは思えない状況・・・・・・・・・・・・・。 完璧主義と言われることが多いのですが、このブログを読む人はそうは思わないでしょうしね。 旧ブログの2年目からはだいぶ手を抜いています。 それにしても、にっくきはシェ○石油のボラード。 高さ50cmと背が低いので目に付かず、意味のない位置にあり、しかも鋼鉄です。 拙は左の車の場所からマツダMPVというワゴンを左にあるエアポンプに向けて発進した途端、 グワシ!という音。 この黄色いボラードの存在意義は何ですか?????? 古キズだらけなのは、このボラードが如何に多くの車を傷つけてきたか、という証拠そのものであります。 しかも、ボラードに気をつけて、という注意書きもなければ、 これだけキズを付けていながら、改善もしない。 でも、不思議なことがありました。 デジカメで現場写真を撮っていると、 スタッフのインド系青年が声を掛けてきました。 「店にクレームしなさい」 「え?」 わが耳を疑いました。 「店にクレームすれば、弁償してもらえますよ」 「・・・だって、ここは君の働く店だろ?」 「そうですけど、こういう事故があまりにも多いので、見ていられないんです」 果たして、この青年は天使か、それとも・・・。 本当にわからないので、待て次号。 |
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なお生き残る在英中年。
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