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エゲレスとは、こーゆーところてす。
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英国人は楽しみを見つけるのが上手いと言われます。

 

何度か過ごしてきたクリスマスの日々の中で、「なるほど」と感じたことがあります。

 

妻の両親を中心にした集まりと、義弟の家族を中心にした集まりで、

 

1224日、25日、26日、31日、そして11日を共に過ごすのです。もっと気合いの入った家族関係ですと、1225日のクリスマスから12th Dayと呼ばれる16日まで、親類縁者と家族にべったりしている人たちもいます。

 

24日は暗くなってから、キャロルシンギングをします。寒中を虚無僧のように一軒一軒に聖歌を届けるのです。拙は英国に住み始めた頃から数年間これに参加しました。賛美歌はメロディも歌詞も簡単なので即興で歌えます。機会があれば、どこの教会でも良いですから、椅子の下棚などに置かれているHymn’s Bookという讃美歌集本を見つけて目を通して見てください。英語と音符が読めれば、拙の言うこともお分かりいただけるでしょう。但し、発音を正しくしないと音も外れると思います。

 

25日はクリスマス当日ですから言わずもがな、朝10時頃教会に出掛けて、牧師の説教でキリストの誕生を祝います。牧師の必ずする質問が、「今朝、ファーザー・クリスマスから何を貰いましたか?それはなぜ貰えたのですか?」良い子達はその質問に応えます。「ファーザー・クリスマスはデリヴァティヴで大儲けしたんです」「彼はソニー・エリクソン社と強力なコンタクトがあるのです」 楽しい教会から戻ると、クリスマスデナーです。このデナーについて語るだけでも、何日も掛りそうです。皿に盛られた死肉と野菜のローストを見るだけで、食べる前からゲップが出ます。お茶漬け食べたい。

 

26日はボクシング・デイです。前日の飲みすぎで頭の中が割れるように痛いので、きっと頭の中でボクシングをしている奴らがいるのだろう、と真顔で新説を唱えるヒトもいるらしいですが、本当はそういうことではありません。クリスマスを祝えなかった立場の人々(召使やホームレスなど)に対する労いから、プレゼントをボックスに入れるという意味合いで出来た習慣という説が有力でありますが、ここ20年間を振り返ると、その習慣との関連性は薄れて、26日はバーゲンの開始となっています。今年は拙も「あのコート」を狙っています。「あの娘と…」を狙う余裕はありません。

 

31日はキリスト教の宗派によって異なるミサが行われるので、夜半に集まります。そして、教会で新年を迎えます。「焼けるような熱さの年越し蕎麦を食いてぇ」と痛感する寒さの中で、ぶどう酒をチビチビと舐めます。なんだか惨めったらしいです。牧師が何を言っているか、「早く終われよ」と真摯な気持ちでいるために、一度もその内容が記憶に残ったことがありません。こういうときに、キリスト教はやはり砂漠で出来た宗教だなあ、と実感します。耐えることは結構尊く、カックイーのです。 日本人の態度や姿勢はこういう場で、年配の方々にとても感心され、尊敬されます。

 

11日は昼頃に誰かのウチに集まって、またデナーです。「お節も良いけど、カレーもね」(1970年ごろのハウスカレーのCM)という言葉が食事中に何度も思い浮かびます。脂っぽいデナーの後には、さらに脂質と糖度の高いデザートが3品ほど並びます。I’m fine. No thank you. の言葉と昼寝だけで午後が過ごせます。

 

以上家族関係の集まりだけで、こんな感じですから、仲の良い友人宅に呼ばれる楽しみと苦痛のコラボレーションが容易に想像されるのではないでせうか?

 

でも、こういうクリスマスを経験していて、これは何かがオカシイと思わないでいられるのは、子ども達と達観したお年寄りだけである、という話はまた次回にでも。それが「暗愁とクリスマスとの関係」になるのですが、まず、実際のクリスマスをご説明しないことには何のことだか判りませんもんね。

 

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26日の日曜は野球団の試し打ちに参加しようと意気込んで出掛けましたが、

ロンドンに向かう途中から突然の土砂降り。

カントクからも電話が入り、「中止」決定。

このまま帰宅するのも電車代がモッタイないので、

そのままロンドンの散歩に向かいました。

アスファルトのロンドンでは、雨なんて気にしないです。

アタッシェケースを抱えてシティの中を歩き回るセールスマンをしていた頃でも、

一度も傘を使ったことはありません。

意外かもしれませんが、

日本ほど雨粒が大きくないこともありますが、

英人のように傘を使わなくなったってことね。

グローブなどの野球道具を抱えながら、

お気楽文化人は3時間ほど散歩を楽しみました。

知っている筈のところでも、日にちや時間を変えていくだけで、いろんな発見があるです。

商売ネタもあるんで、本日はちょっとだけご紹介しませう。

 

 ピカデリーサーカス周辺では、エンジンの爆音が轟いておりました。

メリディアンホテルの前には同じ車種がたくさん並んでいます。

アイドリングしているだけでも喧しいのに、

アクセルを吹かす連中もたくさん居て、

ピカデリー界隈はモーターレース場のような轟音に包まれていました。

でも、レースしているわけじゃなくて、この500台あまりのTVR車のために渋滞していたのです。

何度信号が変わってもほとんど前に進まないので、

大人しそうな運転手を見つけて話しかけました。

「何のデモ?」

「新オーナーがイギリスからイタリアに工場を移転させると言うので、その反対運動さ」

「TVRって英国産なの?」

「当たり前だ。そんなことも知らないのか?」

「君だって、シャープやソニーが日本の会社だって知らない時期があっただろ。 ま、いいや、ステッカーの写真撮らせてくれる?」

 

 で、ソーホーの中を通り抜ける途中、話題の店の前を通りました。 ↓

                   ↓

11月1日にこのピカデリー店で、寿司を食べたヒトは

放射能汚染を受けていないかどうか検診を受けて欲しいというお達しが出ました。

ロシアからの亡命者リトビネンコ氏の周囲からは、

いくつかの放射性物質が見つかるという不思議な殺害(?)方法でした。

彼の近くに居た人たちも被っている可能性があります。

既に、画像の店は正常に営業しています。

 懐かしのハノヴァー・スクウェアに行くと、

英国にあった日本のアイコンがひとつ消滅していました。 ↓

日航商事のお土産屋さん「いぎりす屋」が閉店していたのです。

大手の日系土産店は三越くらいしか残ってないんではないでしょうかね。

画像 (下) は最後の袋です。

Englishを正しく発音すると「イグ(ギ)リス」と聞こえなくもないですが、

Igirisuyaと綴ることにどんなメリットがあるのか。

 

 

コメントを溜めてしまって、申しわけありません。

なんだか、このブログ記事を書くだけでイッパイ、イッパイになってしまいました。

今後頂くコメントには必ず。 

 

 

 

暗闇の中に立たされる、とします。

そこに一点の明かりが見える、とします。

我々はそこに注目し、その方向に歩を進めようとするでしょう。

その一歩の始まりから、

我々の祖先は空間と時間との認識を始めることになったのではないか、と想像するのです。

まず、その一歩とは我々と月との距離であり、

月が我々を巡る周期ではなかったのだろうか、と。

太陰暦とはまさに月の動きを分析し、システム化したものであります。

言い換えれば、光陰とは我々の生活を律する指標として機能し始めたのではないかな、と。

我々が月の周期を意識するには暗闇が必要だったわけで、

それは太陽暦が採用される近代までシステムとして機能していると思うわけです。

そして、クリスマスとは太陰暦の時代に、

冬至を楽しく過ごすために意図的に盛り込まれたイヴェントなのではないかな、

と、キリスト教徒が嫌がるような想像をしてしまうのであります。

その根拠はたくさんあります。

暫くの間、クリスマスについて拙の知るところ、思うところを語ろうかな、と思います。

 

ヨーロッパの冬至の暗さは相当に長い時間です。

夜明けは朝8時、日没は3時半になります。

明るい時間が7時間半ですが、大気が不安定なので、

日照時間は短く、路面はいつも濡れたままです。

逆に夏至のころは朝4時、日没は10時になります。

夏は暗闇の時間が6時間しかありません。

 

19世紀の終わりから電化が進み、暗闇の時間は徐々に短くなりました。

人類が暗闇から解放されたのは、つい最近のことになりますが、

これで生活だけでなく、思考方法も格段に変化することになったのではないでしょうか。

作家の五木ひろゆき氏がいくつかの著書の中で「暗愁」という言葉使っています。

彼以前にこの言葉使った作家は正岡子規と言われています。

子規の時代以来、日本でも電化が進みました。

我々は明るさの中で暗愁を忘れてしまったのかもしれません。

暗愁とは心の闇の中で自分を見つめることです。

瞑想では、明るいイメージを頭の中に展開することも可能ですが、暗愁に浸ることも可能です。

「なんだ、単なる根暗じゃん」と思った方は暗愁に浸れない方かもしれません。

この暗愁から様々な哲学思考が生まれたと言っても過言ではありません。

「元気に明るく、ポジティブシンキングぅ」というのも大事ですが、

現実を見ない楽観的態度や、

熟考を重ねた上での考えでない限り、

内容の伴わない積極的行動は、

ブレーキの壊れた自転車が、

上り一方通行の神楽坂を逆行するようなものです。

単にメーワクなだけです。

言いたいことは、冬至の前後で多くのヒトが暗愁に浸る時間を持っていた、ということです。

「眠れぬ夜」というのは心理学者たちが抱えてきた長年のテーマでした。

疲れていても、頭脳が働いてしまえば眠れません。

クリスマスのことでも考えれば、楽しくて良いですか?

次回はクリスマスと暗愁との関係でも。

 

 

 

 

どうしようかな。

もう、やめようかな。

などと考える今日このごろ。

次に書けるのは月曜日かな。

ボンドが話題になっている今日この頃、

知らざれるボンドの話など、如何?

と聞かれたところで、答えようがない。

1953年、イアン・フレミングが発表したのは007の最新作「カジノ・ロワイヤル」であったが、

実はボンドとは1952年、日本生まれなのだ。

「カジノ・ロワイヤル」の初版本はケンジントン・チャーチストリートなどの骨董街で2万ポンドほどで売られているが、そんだけの価値がつくのなら、日本のボンドも結構な高値が付くのではないだろうか。

と言っても、それはボンド違い。

接着剤のボンドは今でも200円しない。

バリエーションもネーミングも様々で楽しい。

速乾性ボンド、工業用ボンド、木工用ボンドなどなど。

なんだ、そのボンドかよ。と思ったアナタ、ボンドの話はこれで終わりではない。

ボンドには恐ろしいモノがある。

例えば、Bid Bond。

これは公共工事などの巨大プロジェクトを行う場合の最低入札額のことである。

この最低金額を下回った見積もりを入札時に提出すると、建設会社はその入札競争で負けることになる。

上限と下限の範囲内の金額にうまく収めた金額にしないと、その建設会社は事業半ばで、自らの抱えた投資負債のために倒産するリスクを背負うことになるからだ。

日本の建設省が発行する「建設指標」ランキングでは、常に上位3位が変化しない。その中には準大手が2社、最大手は1社。その3社の財務体質は飛びぬけて優れていて、まだ解雇を行っていない。もちろん、解雇以外のリストラクチャリングを行っているわけだが、そんなことが出来るのも安定した金融収支を維持しているから。

建設という巨大事業は建設中に企業が破綻するというリスクを施主も建設会社も金融会社も負うことになるので、最も安全なリスク回避策として、Bondというシステムが作られた。

もちろん、「お前が一番えぇ」とご指名されたら、「あーら、だんさん」とパトロンの膝の上に座ればいいわけで、それは私企業間なら当たり前のこと。公共工事でそんなことをしたら、お縄。

ボンドの話はまだまだたくさんあるけど、書いているほうが飽きてきたので、またそのうち、次のボンドが出たあたりで、如何?

 

 

 

 



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