エゲレスとは、こーゆーところてす。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 上野動物園に行く途中、 西郷どんの銅像を眺めて不思議な気分になったことがあります。 「この人物の最後は、国に楯突いて自刃したんじゃなかったっけ? なら、どうして明治政府はこんなに目立つところに銅像を建てたのだろう?」 そう思ったものの、この疑問はそれ以上追究されることなく、四半世紀が経ってしまいました。当時はデートの途中だったかもしれません。帰りは、しゃぶしゃぶ食べ放題に行ったことは覚えていますが、同伴者は誰であったかは忘れました。え?ひどい奴だって? ひどいかどうかは判りませんが、西郷隆盛だって、見方によっては相当ひどいことをしています。拙は相手を忘れただけでありますが、西郷どんは、敵味方を含めて、かなりの人々を死に至らしめたわけです、って話の次元がまるで違う。 でも、西郷どんの場合は、それが時代の流れであって、彼はたまたまその指導者になってしまった、と言えばそれまでですが、西郷どんにあれだけのカリスマ性があったからこそ、戦死した人々の遺族の気持ちを慰さめ、内戦による敵対意識を沈静化し、外患に備えるべく国家意識の統一が急務であったことから、明治政府は銅像を造ったんじゃないかな、などと思うわけですが、いまだに拙の憶測の域に過ぎません。 ロンドンを歩いていても、いちいち確かめるのが面倒臭くなるくらい、数多の彫像が置かれています。で、これら人物の場合は、殆どが国家への貢献者ですが、中にはオリバークロムウェルのように王を処刑した微妙な立場の人物もいます。でも、人物の評価は時代によって変化し、当時の善悪や現代の人気だけがその功績を決める評価規準にはならない、ということを示しているわけです。そういう評価は学究関係者たちが、その歴史的意義などを唱えることで、皆を納得させるものでしょう。クロムウェルの場合は議会制度を発展させたわけで、王室の怨恨を超えた現象学的な理由になるんでしょうか。各自お調べください。 ウェストミンスターの国会議事堂の南側に位置する公園には、パンクハーストという女性像があります。彼女は婦人参政権を主張して、何度も投獄された人物です。それも国家に対する反逆だけど、彼女の実績を国民への貢献と考えるヒトたちがいるから、後進である我々に彼女の業績を知らしめ、彼女の肉親や支持者たちの気持ちを慰めるのだろうな、と思うのであります。 セント・ジェームスズ・パークの北側、リージェンツ・ストリートの南端にはクリミア戦争記念碑が建っています。一番背の高いのがガード・モニュメント、その下には右側にシドニー公像、左側にはフローレンス・ナイチンゲール像がゐます。片や戦士、此方戦士を救う人であります。彼ら両名の貢献もある意味対象的であります。国家に貢献したことには他ならないわけですが、ナイチンゲールの場合は「看護学」を確立したなどというレベルのもんじゃないんです。 ナイチンゲールは「統計学」の権威でもあるのです。戦死する人々の死亡状況を見て、傷病と死因との関係を誰でも判るグラフにして表したところ、当時のヴィクトリア女王が「おお!」と言ったかどうかは判りませんが、王室や陸軍から大きな評価を得たわけです。さらに、ナイチンゲールは「衛生」ということだけで、どれだけの人間を救えるかという指数も示して、看護学に結びつけたわけです。 で、実際の彼女は「クリミアの天使」と言われるには程遠いイメージでした。そのイメージは後年作られたもので、彼女自身は「何やってんだろ」と皆に思われるような統計グラフを部屋に閉じこもって作っては、論文を作成していたわけです。徹底的な経験主義で現実主義者でしたから、精神主義的な看護の要素は皆無のヒトだったそうです。 ま、そんなわけでひとつひとつの彫像を見ていると、「なぜ?」という疑問が湧いてきてしまう、というお話でした。特に政府が作った場合、その時代の背景が見えて来る、ってことてす。 PR 先日の記事で「イルカの里親」の話をしましたが、 これはイルカをプレゼントするようなものとも考えられるわけです。 ところが、実際にこういう動物を子供や愛する人たちにプレゼントをした時代がありました。象を飼った、虎を飼ったというのは貴族の趣味になった時代もあったわけですが、現在のようにRSPCAなどの権威的な動物保護団体が乱立する世の中では考えられないことかもしれませぬ。そのうちお話してもいいんですが、英国の動物愛護団体の権限の強さは尋常ではありませぬ。 さておき、ヴィクトリア時代には英国のメイフェアやセント・ジェームズという地域は世界の富の集積地だったことは何度か申し述べて来たとおりです。 今日はメイフェアの中の不思議な一角のお話です。 メイフェアというのは、東西をパークレーンとリージェントストリート、南北をピカデリーとオクスフォードストリートで囲んだごく狭い地域ですが、世界の富の集積地として世界で最も栄えた街と言えます。 その中に縦横して通る道筋は、例外の1本の道を除いて、基本的にその4つの大通りで完結しています。
上の矢印が拙もミンナも大好きな百貨店セルフリッジ、 下の矢印が注目の場所Brown Hart Garden
その例外の道とは百貨店セルフリッジの西側を南北に通るDuke Streetです。
地図上でも唯一Oxford Streetを縦断しているのが判ります。 Duke of YorkでもあったJames2世が即位した1685年に出来た故の命名ですが、つまらない話にするつもりはありません。話はこのDuke Streetの特殊性です。 行政域メイフェアの中心部グロヴナースクウェアから、オクスフォードストリートを縦断して、隣の行政域メリルボーンのマンチェスタースクウェアまで通る道です。 この道が2つの行政域を突き抜けているのは単にオリジナルが両地域よりも古いからという説もありますが、隠れた理由をたまたま見つけました。 グロヴナースクウェアのすぐ近くにBrown Hart Gardenというかなり立派な門構えの建築物があります。 ガーデンなのに中には入れないどころか、現在では変電所として使われています。 で、周囲を歩いてみると、高さ5m以上にもなる刑務所のような塀が続きます。どう考えても、中はテニスコート10面は取れそうな規模に思えます。 ある日、この近くを歩いてカメラにその変電所の威容を収めていると、 近所のご老体たち数人が「歌手のマドンナが近所なんだよ~」と言いながら、集まって来て教えてくれました。
おばばA「ここにはヴィクトリア時代にはインド象が飼われていたんだよ」 おじじA「そんで、毎日グロヴナースクウェアとマンチェスタースクウェアとの間を散歩させたのさ。ぎゃはは」 おばばB「そうそう、だからね、行政体がDuke Streetの管理を一本化するためにオクスフォードストリートの北側にもDuke Streetの名前が残ったんだよ」 ご老体たちはそう言うけど、ここが変電所になったのは1903年建築当初からのことで、それ以前の資料には「象が飼われていた」という記録は見当たりません。 まあ、いいけど。
26日の日曜は野球団の試し打ちに参加しようと意気込んで出掛けましたが、 ロンドンに向かう途中から突然の土砂降り。 カントクからも電話が入り、「中止」決定。 このまま帰宅するのも電車代がモッタイないので、 そのままロンドンの散歩に向かいました。 アスファルトのロンドンでは、雨なんて気にしないです。 アタッシェケースを抱えてシティの中を歩き回るセールスマンをしていた頃でも、 一度も傘を使ったことはありません。 意外かもしれませんが、 日本ほど雨粒が大きくないこともありますが、 英人のように傘を使わなくなったってことね。 グローブなどの野球道具を抱えながら、 お気楽文化人は3時間ほど散歩を楽しみました。 知っている筈のところでも、日にちや時間を変えていくだけで、いろんな発見があるです。 商売ネタもあるんで、本日はちょっとだけご紹介しませう。
ピカデリーサーカス周辺では、エンジンの爆音が轟いておりました。 メリディアンホテルの前には同じ車種がたくさん並んでいます。 アイドリングしているだけでも喧しいのに、 アクセルを吹かす連中もたくさん居て、 ピカデリー界隈はモーターレース場のような轟音に包まれていました。 でも、レースしているわけじゃなくて、この500台あまりのTVR車のために渋滞していたのです。 何度信号が変わってもほとんど前に進まないので、 大人しそうな運転手を見つけて話しかけました。 「何のデモ?」 「新オーナーがイギリスからイタリアに工場を移転させると言うので、その反対運動さ」 「TVRって英国産なの?」 「当たり前だ。そんなことも知らないのか?」 「君だって、シャープやソニーが日本の会社だって知らない時期があっただろ。 ま、いいや、ステッカーの写真撮らせてくれる?」
で、ソーホーの中を通り抜ける途中、話題の店の前を通りました。 ↓ ↓ 11月1日にこのピカデリー店で、寿司を食べたヒトは 放射能汚染を受けていないかどうか検診を受けて欲しいというお達しが出ました。 ロシアからの亡命者リトビネンコ氏の周囲からは、 いくつかの放射性物質が見つかるという不思議な殺害(?)方法でした。 彼の近くに居た人たちも被っている可能性があります。 既に、画像の店は正常に営業しています。 懐かしのハノヴァー・スクウェアに行くと、 英国にあった日本のアイコンがひとつ消滅していました。 ↓ 日航商事のお土産屋さん「いぎりす屋」が閉店していたのです。 大手の日系土産店は三越くらいしか残ってないんではないでしょうかね。 画像 (下) は最後の袋です。 Englishを正しく発音すると「イグ(ギ)リス」と聞こえなくもないですが、 Igirisuyaと綴ることにどんなメリットがあるのか。
コメントを溜めてしまって、申しわけありません。 なんだか、このブログ記事を書くだけでイッパイ、イッパイになってしまいました。 今後頂くコメントには必ず。
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なお生き残る在英中年。
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